「うちは毎年しっかり利益が出ているし、優秀な職人も揃っている。だからM&Aでも高く売れるはずだ」
そう考えている建設会社の経営者様は少なくありません。確かに、売上規模や保有資産、施工実績は企業価値を左右する重要な要素です。しかし、買い手企業が重視するのはそれだけではありません。法令遵守や内部管理体制に問題があると判断された場合、好業績の企業であっても買収を見送られる可能性があります。
特に建設業では、日常的な取引慣行が法令違反と評価されるケースも少なくありません。その代表例が、下請法(下請代金支払遅延等防止法)違反のリスクです。
M&Aの交渉において、自社のガバナンスがクリーンであるかどうかは、単なるイメージの問題ではありません。実は、「譲渡価格(会社の価値)そのもの」に直結する重要な財務・経営指標なのです。
今回は、買い手企業がなぜそこまで下請法違反を恐れるのか、そしてクリーンな体制がなぜ高評価に繋がるのかを、買い手の本音とともに解説します。
目次
M&Aの交渉が進むと、買い手企業は公認会計士や弁護士などの専門家に依頼をし、売り手企業の経営状態を徹底的に調査します。
これをデューデリジェンス(買収監査 / DD)と呼びます。
買い手企業がこのデューデリジェンスにおいて特に注視する項目の一つが、決算書に十分反映されていない偶発債務や簿外債務のリスクです。
下請法への対応に不備がある場合、将来的な追加支払いや是正対応が必要となる可能性があり、買い手企業から簿外債務リスクとして認識されることがあります。
例えば、現場で日常的に行われていた「口頭発注」や「後追い精算」、あるいは元請都合による「一律〇%の減額」があったとします。
これらの運用は、内容や実態によっては下請法上の問題と判断される可能性があります。もし買収が完了した後に、下請企業から「過去に不当に減額された代金を支払ってほしい」と請求されたり、公正取引委員会による指導や勧告を受け、過去の取引内容について是正や追加支払いが必要となった場合、その数千万円にのぼる負債を支払うのは、会社を買い取った「買い手企業」になります。
買い手企業からすれば、決算書を見て「これなら安心だ」と思って買った会社に、後から莫大な隠れ借金が見つかるようなものです。
だからこそ、発注管理の手続きがずさんな会社に対して、買い手は非常に神経質になります。
特に、買い手企業が上場企業や大手ゼネコン、全国展開しているハウスメーカーである場合、下請法違反に対する警戒心は売り手企業の想像を絶するものがあります。
大企業にとって、コンプライアンスの徹底は市場で生き残るための絶対条件です。もし、買収した地方の建設会社が下請法違反を起こし、行政から実名公表の処分を受けたらどうなるでしょうか。
・「大手〇〇のグループ会社が下請法違反」とニュースで大々的に報道される
・親会社の信用や企業イメージに影響が及ぶ可能性がある
・取引先や発注者からの評価に影響を及ぼす可能性がある
このように、売り手企業にとっては「現場のうっかり」であっても、買い手企業にとっては「グループ全体の信用や事業運営に影響を及ぼしかねない重要なリスク」になり得るのです。このリスクが見えた時点で、大手の買い手企業はどれだけ魅力的な会社であっても、買収価格の見直しや追加条件の設定、場合によっては交渉中止につながる可能性があります。
逆に言えば、下請法遵守をはじめとするガバナンス体制が整備され、クリーンな状態が証明できる会社は、M&A市場で「きわめて稀少な優良案件」として高値で取引されます。
発注と支払いのプロセスがデジタル化され、すべての現場の契約書面(3条書面)が着工前に正しく交わされている会社は、買い手から次のように評価されます。
【ガバナンスがクリーンな会社の評価】
「この会社であれば、統合後の運営リスクを比較的低く抑えられる
「現場監督個人の『勘』ではなく、組織の『仕組み』で動いているから、経営を引き継ぎやすい」
買収後のリスクが低いと判断されれば、買い手企業は「多少高値を払ってでも、この安心な会社を手に入れたい」と考えます。結果として、譲渡価格の交渉が売り手優位に進み、創業者利益を最大化することに繋がるのです。
実際にM&Aの交渉が始まった際、買い手企業が売り手企業の発注・支払実務のどこをチェックしているのか、代表的な3つのポイントをまとめました。
| チェックされる項目 | 買い手企業が確認している具体的な実務 |
| ① 注文書の「日付」 | 現場の「着工日」よりも前に、注文書と注文請書がシステムや書面で正式に交わされているか。(後追い発注になっていないか) |
| ② 支払いの「日数」 | 下請企業から引き渡し(工事完了)を受けてから、土日祝日を含めて法令や契約内容に沿った支払期日で運用されているか現金等で入金されているか。 |
| ③ 追加工事の「エビデンス」 | 現場での追加・変更工事が発生した際、口頭指示で済ませず、その都度「変更契約」や「変更見積」の書面が残されているか。 |
買収監査(DD)では、これらの書類が過去数年分、ランダムに抽出されて厳しくチェックされます。「いつも綺麗に処理しています」という言葉ではなく、「システムに日付と履歴がすべて残っている」という客観的な事実こそが、買い手を安心させる唯一の証拠になります。
建設会社のM&Aにおいて、売上や利益を作るのが現場の「施工力」であるならば、その利益を減らさずに会社の価値として確定させるのが「ガバナンス」です。
将来的に会社を売却して創業者利益を得たい、あるいは次世代の信頼できるパートナーと戦略的提携を結びたいとお考えであれば、早いうちから「下請法に違反しない発注・支払いの仕組み」を社内に根付かせておくことが必要です。
今行うガバナンスの強化は、単なる法的な義務を果たしているだけではありません。数年後、会社がM&A市場に出たときに、企業価値の向上と円滑なM&Aの実現に向けた重要な投資なのです。
「自社の現在の発注管理体制で、M&Aを進めても問題ないだろうか」「買い手から高く評価されるための具体的な改善点を知りたい」という方は、ぜひお気軽にご相談ください。一歩一歩、貴社の価値を高めるパートナーとして伴走いたします。
この記事の執筆者

井上 絢翔(Kento Inoue)
國學院大學法学部卒業後、建設業界の法人営業を経て株式会社インフィニティライフに参画。現在は学習塾業界を中心にM&Aアドバイザーとして活動。
前職の知見と誠実な姿勢を活かし、経営者の想いに寄り添う支援に注力している。